歩く美術史
以前アーモリーショウで出会ったオーストリアのアーチストが私を連れの白人女性に紹介するのに、「日影さんは、ヨーコ・オノと同じ60年代から活躍している歩く美術史のような人だ」といった。彼はMoMAで出会った時には、連れの日本少女に「有名だ」と紹介したから、又聞きなのだろうが、何もそこまでいわなくてもと思った。

アーモリーショウ会場(2008/3 New York)
けれど確かに私は50年代にアートワールドに触れ始めた。当時はピカソ、マチスは生きていたし、仲間は「具体」の創立会員で、静物や風景画が並ぶ兵庫県展に、如雨露でキャンバスの上に絵の具を撒いた作品を出品していた。グラフイックデザイナーであった私は、当時の風潮で、モダンアートに立脚した作品を作っていた。その場合に西洋に迎合するジャポニズムなどは侮蔑の対象だった。けれど実際の仕事では写真を取り込んで、知らずポップアートの走りの様なスタイルになっていた。東京では広告のデザインを仕事にすることになったので、当時のいわゆるノングラフィックのスタイル、タイポグラフィと写真だけでデザインをしていた。もう要素はイラストレーターと写真家にまかせ、自分はコンセプトを決めディレクションをするだけだった。その後で始まるコンセプチュアル・アートの原型がここにあったといっていいだろう。
やがてポップアートが世界を席巻し、次いでコンセプチュアリズムがアメリカン・アートの覇権を確立する。次いでニューペインティングが突然ニューヨークアートを塗り替える。一連の戦後美術史を牽引してきたのは進歩主義史観ともいうべき西洋の思想で、新しいものは神であり、物まねは唾棄すべき行為だった。いつの間にか私はそのような考え方を自分の基準として据えていた。これでは歩く美術史といわれても仕方がないが、一方東京で個展をして日本の美術界に参加した私が発見したのは、たとえ西洋崇拝ではなくてもほとんどの作家がその美術史に現れたカテゴリー内で作品を作っているという事実であったから、ますます私の「進歩信仰」的な考えは補強された。まして主流とされている前衛は西洋アートのエピゴーネンで占められていた。私がマンガのようないい加減な絵で作品を作り始めた理由がここにあった。

アーモリーショウ(2008/3 New York)のゲオルグ・バゼリッツ
ところが最近では幾らか事情が変わってきた。若い人たちにとってアートはディナーのようなものになり、マーケットに並んでいる素材は何を買ってもいいし、レシピは何を選んでもOKという案配になってきたように思える。かつて私が嫌った「物まね」というのではない形で、抽象表現主義もポップアートも表現の手段になる。あらゆる様式が対等のものとして優先順位無しで利用可能のものとして目の前にある、といったスペインの彫刻家がいたが、もはやそこには進歩主義史観はない。これをいわゆるポストモダーン状況というのだろうが、果たしてどうだろうか?
そのような状況でアートの社会における重要性はどんどん失われていっているように見える。このニューヨークでさえ、「歩く美術史」から見れば、全部「見たようなもの」に見える。誰もがアーチストであり、誰もが有名にならない。有名になるとすればたまたま有力なキュレーターと知り合いだったというような、僥倖、政治的要素が理由である。進歩主義史観が信頼を失って久しいのだから、みんな並んで小さくなって当たり前、アートにおけるアメリカの没落というような国家覇権的な旧思考から見てはいけないのだろう。温暖化や石油資源の枯渇で人類の絶滅が予言者不在で進行する。けれどやっぱり覇権を求めるのがさもしい人間の性だから、アメリカさんはかつて世界を制覇した主知主義的手法を世界中から物まねされることを歓迎する。アメリカは政治もアートもなりふり構わない。何と「物まね」が神殿に祭られたのだ。けれどそんなことは一時の迷妄だぜ。アートなどという古いシステムが無効になった事実が露呈してきているだけかも知れない。
もう美術史も終わりだが、「生きている美術史(私)」はその前に終わる。残りの時間はただひたすら制作して生きよう。

アーモリーショウ会場(2008/3 New York)
けれど確かに私は50年代にアートワールドに触れ始めた。当時はピカソ、マチスは生きていたし、仲間は「具体」の創立会員で、静物や風景画が並ぶ兵庫県展に、如雨露でキャンバスの上に絵の具を撒いた作品を出品していた。グラフイックデザイナーであった私は、当時の風潮で、モダンアートに立脚した作品を作っていた。その場合に西洋に迎合するジャポニズムなどは侮蔑の対象だった。けれど実際の仕事では写真を取り込んで、知らずポップアートの走りの様なスタイルになっていた。東京では広告のデザインを仕事にすることになったので、当時のいわゆるノングラフィックのスタイル、タイポグラフィと写真だけでデザインをしていた。もう要素はイラストレーターと写真家にまかせ、自分はコンセプトを決めディレクションをするだけだった。その後で始まるコンセプチュアル・アートの原型がここにあったといっていいだろう。
やがてポップアートが世界を席巻し、次いでコンセプチュアリズムがアメリカン・アートの覇権を確立する。次いでニューペインティングが突然ニューヨークアートを塗り替える。一連の戦後美術史を牽引してきたのは進歩主義史観ともいうべき西洋の思想で、新しいものは神であり、物まねは唾棄すべき行為だった。いつの間にか私はそのような考え方を自分の基準として据えていた。これでは歩く美術史といわれても仕方がないが、一方東京で個展をして日本の美術界に参加した私が発見したのは、たとえ西洋崇拝ではなくてもほとんどの作家がその美術史に現れたカテゴリー内で作品を作っているという事実であったから、ますます私の「進歩信仰」的な考えは補強された。まして主流とされている前衛は西洋アートのエピゴーネンで占められていた。私がマンガのようないい加減な絵で作品を作り始めた理由がここにあった。

アーモリーショウ(2008/3 New York)のゲオルグ・バゼリッツ
ところが最近では幾らか事情が変わってきた。若い人たちにとってアートはディナーのようなものになり、マーケットに並んでいる素材は何を買ってもいいし、レシピは何を選んでもOKという案配になってきたように思える。かつて私が嫌った「物まね」というのではない形で、抽象表現主義もポップアートも表現の手段になる。あらゆる様式が対等のものとして優先順位無しで利用可能のものとして目の前にある、といったスペインの彫刻家がいたが、もはやそこには進歩主義史観はない。これをいわゆるポストモダーン状況というのだろうが、果たしてどうだろうか?
そのような状況でアートの社会における重要性はどんどん失われていっているように見える。このニューヨークでさえ、「歩く美術史」から見れば、全部「見たようなもの」に見える。誰もがアーチストであり、誰もが有名にならない。有名になるとすればたまたま有力なキュレーターと知り合いだったというような、僥倖、政治的要素が理由である。進歩主義史観が信頼を失って久しいのだから、みんな並んで小さくなって当たり前、アートにおけるアメリカの没落というような国家覇権的な旧思考から見てはいけないのだろう。温暖化や石油資源の枯渇で人類の絶滅が予言者不在で進行する。けれどやっぱり覇権を求めるのがさもしい人間の性だから、アメリカさんはかつて世界を制覇した主知主義的手法を世界中から物まねされることを歓迎する。アメリカは政治もアートもなりふり構わない。何と「物まね」が神殿に祭られたのだ。けれどそんなことは一時の迷妄だぜ。アートなどという古いシステムが無効になった事実が露呈してきているだけかも知れない。
もう美術史も終わりだが、「生きている美術史(私)」はその前に終わる。残りの時間はただひたすら制作して生きよう。
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人類総白痴化時代?
6年半使ったマック867G4のハードディスクが壊れてアイコンが出なくなってしまった。幸いOS10.4.11,タイガーはシーゲートの内蔵ハードディスクにインストールしてあったので、それから普段はそれを使っていたので、とりあえずコンピューターは動いている。OS9.2とクラシックが使えなくなっただけだ。
そろそろ危ないと思った時にバックアップを取ろうとして、昔取ったバックアップのCDを調べてみたら、ほとんど90パーセントのCDが認識されないか、イニシャライズを要求されるかだった。これらのバックアップCDはほとんど、2003年に購入したラシーの4倍速のCDドライブで取ったものである。元々それを現役で使っている時から、クラッシュしたり、今と同じように読めなくなったりした。
恐怖の宣告
その頃に買ったミュージックCDは全て今もしっかり音が出るのである。となるとそれぞれにメーカーも異なり、一方でコンピューターのOSがバージョンアップしていく中で、こういうレコーディングデバイスの信頼性というものはどうなるのだろうかと思ってしまう。誰も保証していないし、失っても誰も責任は取らない。
コピーを全て筆記に頼った時代、わずかに残された写本は極めて貴重なのもだが、何でも気軽にバックアップできる今日、逆に大量に残されたはずの記録が将来一切発見できない時代に私たちは生きているのだろうか? 私の記録や写真と同様に、そんなものは無くてさばさばするという時代が来てしまうのだろうか?
古いスカジのCDレコーダーやタブレットなどをまとめて捨てたが、数十枚の読めないバックアップCDはまだ取ってある。
そろそろ危ないと思った時にバックアップを取ろうとして、昔取ったバックアップのCDを調べてみたら、ほとんど90パーセントのCDが認識されないか、イニシャライズを要求されるかだった。これらのバックアップCDはほとんど、2003年に購入したラシーの4倍速のCDドライブで取ったものである。元々それを現役で使っている時から、クラッシュしたり、今と同じように読めなくなったりした。

その頃に買ったミュージックCDは全て今もしっかり音が出るのである。となるとそれぞれにメーカーも異なり、一方でコンピューターのOSがバージョンアップしていく中で、こういうレコーディングデバイスの信頼性というものはどうなるのだろうかと思ってしまう。誰も保証していないし、失っても誰も責任は取らない。
コピーを全て筆記に頼った時代、わずかに残された写本は極めて貴重なのもだが、何でも気軽にバックアップできる今日、逆に大量に残されたはずの記録が将来一切発見できない時代に私たちは生きているのだろうか? 私の記録や写真と同様に、そんなものは無くてさばさばするという時代が来てしまうのだろうか?
古いスカジのCDレコーダーやタブレットなどをまとめて捨てたが、数十枚の読めないバックアップCDはまだ取ってある。