イスタンブールへの旅
5月24日から6月6日までイスタンブール、ギリシャを旅してきました。ちょうどギリシャ財政破綻で、ユーロがどんどん下がっている最中です。やばいな、と言う不安は的中して、旅行中ギリシャで二度も海と陸のストライキに遭遇しました。しかし聞いてみると財政危機が無くても地下鉄のストなどしょっちゅうだそうです。
イスタンブールの人は皆メチャ親切、集団的親切。特に年寄りに親切だけど、考えてみると、イスラム教のせいかもしれません。この街ではトラムのスルタンアフメット駅から直ぐで、ブルーモスクの裏手、といっても海側にあるスヘンドン(Sphendon)ホテルに泊まったので、内庭に面して海は見えないけど、いい部屋でした。今回は前もってインターネットで徹底して調べ、朝食が美味しいことを必須条件にして、かつ1万円以下を条件に検索し、レーティングが80点以上のホテルばかりを選んだので、ホテルについてはいずこも不満はありませんでした。
ついでですがホテルで場所も教えられたのですが、レストラン「Albura Kathisma」は他に比べて混んでいたわけでもないけど、それに写真見本も無いのですが、評判通りここの伝統料理は最高に美味しかったので、しかも安いのでお勧めです。それに地下にはビザンチン・グレートパレスの遺構があって見学できます。ちょうどブルーモスク横の賑やかなレストラン通りの中ほどにあります。ホテルで聞けば教えてくれるでしょう。
もう一つ、イスタンブールの食べ物の話。有名な、どこまで行っても賑やかな商店街が続くグランドバザールに行ったとき、かみさんがトルコ石を一袋、なぜか6ドルで買ったのですが、(リラでもユーロでもない)そのバザールの入り口に電車通りに面してある店で、私が鰯のフライのサンドイッチ、かみさんはカラマリのサンドイッチを買って、それと至る所で売っている絞りたてオレンジジュースと一緒に、公園で食べたのですが、たったの250円くらいで、これは本当に美味しかった。

カフェレストラン、アルブラ・カシスマ フィッシュフライ・サンドイッチの店
イスタンブールについての一番の知識は、例のメリナ・メルクーリ主演の映画、トプカピ宮殿の86カラットのダイヤを狙う話で、いつかはこの宮殿を見たいものだと思っていた。実際に見た印象は映画の記憶とは違っていたけれど、そのハーレムの室内装飾の華麗さには一驚しました。と言うか、要するにグラナダのアルハンブラ宮殿のどちらかといえば抽象的な模様とは少し違った花柄、唐草模様のデザインで、同じく近くのキリム博物館で見た絨毯の模様にも通じる、と言うことは街の至る所で売っている絨毯の模様の元型と言える様式でしょうが、さまざまなそのアラベスクで床から壁、天井までびっしりと覆い尽くして、恐らく当時の最高の職人の手になる最高に贅沢な仕上げで、部屋全体が現世の極楽とでも言える世界を現出している。
ハーレムは江戸でいえば大奥ですから、去勢された黒人の宦官とほとんど接触することもなかったえり抜きの美女たちがただ一人の男であるスルタンに仕えた、と言うことに対する好奇心も飛んでしまうほどの人工の極楽世界でした。

ハーレムのインペリアル・ホール 目の至福 ハーレムの見事なアラベスク 床

壁 天井
ここには先の映画のテーマとなった歴代の宝物が散じることなく全部収蔵されている。これはもうロンドン塔にある英国王室の宝物を上回って凄いのではないか。私は何しろ宝石とは縁のない育ちをしましたので、「宝島」の宝物も、「桃太郎」の宝物も、七福神の宝物もほとんどリアリティが感じられない人間ですから、その時はまだ無関心のままだったのかも知れない。しかしトプカピのダイヤやエメラルドなど宝石類をちりばめた宝物には宝物への関心を触発させられました。モハメッドの剣まであるのです。残念ながら撮影禁止でした。
それから、西洋史というのは、哲学と同じで、何度読んでもちっとも頭に入らないで、またそれに関する本を買ってしまうのが私の習性ですが、今回このイスタンブールが、東ローマ帝国の首都、コンスタンチノープルであったことを実地に見て頭に叩き込めました。とりわけカーリエ博物館のビザンチン絵画を見て忘れられない印象を受けました。修復されたここの壁画と天井画は保存状態も良く、金色を多用したそのモザイク画は非常に水準の高いものでした。私はヨーロッパの美術館でもキリスト教のイコンはちょっと敬遠したい対象だったのですが、今回の旅でその見方を変えました。とりわけ段違いに素晴らしかったのが、ここのビザンチン絵画でした。
カーリエ博物館(コーラ聖救世主教会) フレスコ画

天井のモザイク画
さて、ここの女性たちはブルカにロングドレス。何か敬虔で禁欲的な魅力かも知れません。私とかみさんは若い女性から彼女の友達と一緒に写真に写るように頼まれた。高名なアヤソフィアや、ブルーモスクなど歴史的建築には今回触れません。
ガラタ塔で食事しながらベリーダンスを見て、テーブルに日の丸の旗を立てられて、ここも楽しかったけど詳しく書くほどでもない。一人80ユーロで送迎付き、の筈が、ウエイターが、その料金にはサービス料は入っていないので、5ユーロイーチ払えと、最初に耳打ちした。しようがないのかと思ったが、不審なので1階へ聞きにいったら、「一切そんなものはいらない」といった。(その間にかみさんは「上を向いて歩こう」を歌わされたらしい)。当然払わなかったけど、面白くない記憶になった。

ブルーモスクとブルカの女性 新市街、路面電車のせいかなぜか懐かしいイスティクラル通り

釣り二題 ガラタ橋と夕暮れのマルマラ海 汚染されていないのかボラ、スズキ? などかなりの釣果
イスタンブールの人は皆メチャ親切、集団的親切。特に年寄りに親切だけど、考えてみると、イスラム教のせいかもしれません。この街ではトラムのスルタンアフメット駅から直ぐで、ブルーモスクの裏手、といっても海側にあるスヘンドン(Sphendon)ホテルに泊まったので、内庭に面して海は見えないけど、いい部屋でした。今回は前もってインターネットで徹底して調べ、朝食が美味しいことを必須条件にして、かつ1万円以下を条件に検索し、レーティングが80点以上のホテルばかりを選んだので、ホテルについてはいずこも不満はありませんでした。
ついでですがホテルで場所も教えられたのですが、レストラン「Albura Kathisma」は他に比べて混んでいたわけでもないけど、それに写真見本も無いのですが、評判通りここの伝統料理は最高に美味しかったので、しかも安いのでお勧めです。それに地下にはビザンチン・グレートパレスの遺構があって見学できます。ちょうどブルーモスク横の賑やかなレストラン通りの中ほどにあります。ホテルで聞けば教えてくれるでしょう。
もう一つ、イスタンブールの食べ物の話。有名な、どこまで行っても賑やかな商店街が続くグランドバザールに行ったとき、かみさんがトルコ石を一袋、なぜか6ドルで買ったのですが、(リラでもユーロでもない)そのバザールの入り口に電車通りに面してある店で、私が鰯のフライのサンドイッチ、かみさんはカラマリのサンドイッチを買って、それと至る所で売っている絞りたてオレンジジュースと一緒に、公園で食べたのですが、たったの250円くらいで、これは本当に美味しかった。


カフェレストラン、アルブラ・カシスマ フィッシュフライ・サンドイッチの店
イスタンブールについての一番の知識は、例のメリナ・メルクーリ主演の映画、トプカピ宮殿の86カラットのダイヤを狙う話で、いつかはこの宮殿を見たいものだと思っていた。実際に見た印象は映画の記憶とは違っていたけれど、そのハーレムの室内装飾の華麗さには一驚しました。と言うか、要するにグラナダのアルハンブラ宮殿のどちらかといえば抽象的な模様とは少し違った花柄、唐草模様のデザインで、同じく近くのキリム博物館で見た絨毯の模様にも通じる、と言うことは街の至る所で売っている絨毯の模様の元型と言える様式でしょうが、さまざまなそのアラベスクで床から壁、天井までびっしりと覆い尽くして、恐らく当時の最高の職人の手になる最高に贅沢な仕上げで、部屋全体が現世の極楽とでも言える世界を現出している。
ハーレムは江戸でいえば大奥ですから、去勢された黒人の宦官とほとんど接触することもなかったえり抜きの美女たちがただ一人の男であるスルタンに仕えた、と言うことに対する好奇心も飛んでしまうほどの人工の極楽世界でした。


ハーレムのインペリアル・ホール 目の至福 ハーレムの見事なアラベスク 床


壁 天井
ここには先の映画のテーマとなった歴代の宝物が散じることなく全部収蔵されている。これはもうロンドン塔にある英国王室の宝物を上回って凄いのではないか。私は何しろ宝石とは縁のない育ちをしましたので、「宝島」の宝物も、「桃太郎」の宝物も、七福神の宝物もほとんどリアリティが感じられない人間ですから、その時はまだ無関心のままだったのかも知れない。しかしトプカピのダイヤやエメラルドなど宝石類をちりばめた宝物には宝物への関心を触発させられました。モハメッドの剣まであるのです。残念ながら撮影禁止でした。
それから、西洋史というのは、哲学と同じで、何度読んでもちっとも頭に入らないで、またそれに関する本を買ってしまうのが私の習性ですが、今回このイスタンブールが、東ローマ帝国の首都、コンスタンチノープルであったことを実地に見て頭に叩き込めました。とりわけカーリエ博物館のビザンチン絵画を見て忘れられない印象を受けました。修復されたここの壁画と天井画は保存状態も良く、金色を多用したそのモザイク画は非常に水準の高いものでした。私はヨーロッパの美術館でもキリスト教のイコンはちょっと敬遠したい対象だったのですが、今回の旅でその見方を変えました。とりわけ段違いに素晴らしかったのが、ここのビザンチン絵画でした。


カーリエ博物館(コーラ聖救世主教会) フレスコ画


天井のモザイク画
さて、ここの女性たちはブルカにロングドレス。何か敬虔で禁欲的な魅力かも知れません。私とかみさんは若い女性から彼女の友達と一緒に写真に写るように頼まれた。高名なアヤソフィアや、ブルーモスクなど歴史的建築には今回触れません。
ガラタ塔で食事しながらベリーダンスを見て、テーブルに日の丸の旗を立てられて、ここも楽しかったけど詳しく書くほどでもない。一人80ユーロで送迎付き、の筈が、ウエイターが、その料金にはサービス料は入っていないので、5ユーロイーチ払えと、最初に耳打ちした。しようがないのかと思ったが、不審なので1階へ聞きにいったら、「一切そんなものはいらない」といった。(その間にかみさんは「上を向いて歩こう」を歌わされたらしい)。当然払わなかったけど、面白くない記憶になった。


ブルーモスクとブルカの女性 新市街、路面電車のせいかなぜか懐かしいイスティクラル通り


釣り二題 ガラタ橋と夕暮れのマルマラ海 汚染されていないのかボラ、スズキ? などかなりの釣果
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ギリシャの旅「アテネのソクラテス犬」
イスタンブールとアテネ、エーゲ海のサントリーニ島とクレタ島に旅してきた。イスタンブールで一番に印象に残ったのは、トプカピ宮殿のハーレムであるが、今回はアテネの話を書く。私にとってギリシャはヨーロッパ旅行の最後に残された国であった。
西洋美術の故郷はギリシャである。いや西洋文明そのものがギリシャを故郷としている。と言うことは端っこのアジア人種に属する日本人の近代以降の故郷でもある。世界の先進国の故郷がギリシャだといっても過言でもない。
昔日本では古きを尋ねれば中国の故事であった様に、西洋ではどの国だろうと行き着く先はギリシャ神話だ。日本が何かに付け引用した中国の故事はある程度史実に基づいていたが、ギリシャ神話は完全な創作物である。空を飛ぶし、半獸神も登場する。第一死なないのである。今回神託で有名なデルフィにも行ったが、途中バスの窓から入道雲を見ていると、はるか空の彼方のそこに神様たちが住んでいる気がした。何か神々しいのである。エーゲ海のサントリーニ島の夕日も素晴らしかったが、吹いてくるそよ風が私の人生で一度も経験したことのない爽やかさだった。もうずっとその風に吹かれていたくなって、その日はどこにも出かけないでホテルで一日過ごした。このような風土ではそこここに神様が感じられ、あの全世界に影響を与える壮麗な神話が成立したのだろう。
さて西洋美術史を改めて思い返してみると、ギリシャ神話を題材にしている場合が多いことに驚いてしまう。ゼウスが雨になってダナエと交わる「ダナエ」など、近代の作家であるクリムトでさえ描いている。まあ神話ならしようがない、と社会の承認を取り付けるのに好都合だったのかも知れないが、裸やポルノはほとんど神話を題材にする。神話は裸を描く隠れ蓑だ。
ギリシャ神話を題材にした絵は、嘘に嘘(絵空事で現実にあるかのように見せかけるから)を重ねるとして廃棄し、印象派が登場して近代絵画が始まるけど、何、それも根拠を尋ねれば、古代ギリシャである。ニーチェの批判するソクラテス主義、ギリシャの理性優先思想に始まりを持つ。
今日その西洋文明が行き詰まってしまった。神々を殺した様に自然も殺し始めた。ではどうすればいいんだよ? 神々を復活させるべきなのだ。美術だって同じ事だ。
さて難しい話? はそれくらいにして、今回アテネで一番印象的だったのは、アクロポリスの丘など古代の遺跡は別として、アテネのアゴラ地区からクレタ島まで、至る所で寝ているソクラテス犬だ。どうして大きな犬がそこら中で寝そべっているのか? 考えるのに適した風土だから、何か高邁なことを考えて過ごしているのか? 犬が何か考えても、犬界が変わったり進歩したりしない。
そのうちにコロナキ地区にあるホテルの近くで、雨の日に野良猫にエサをやっている女性を見かけた。察するところ、ソクラテス犬はご近所の人達がフィードしているのであろう。で、彼らの仕事はそこに寝そべってエサを待っていることになってしまったのだろう。かみさんが私を、痩せてメガネを掛けた爺さんなので、「アルケオロジスト(考古学者)」と呼んだんだけど、これは考古学ではなくて、考現学ですね。アテネでは太古の時代から犬は寝そべっていてギリシャ哲学に影響を与えたのだろうか?。
写真、最後の一枚は、「眠れるメナード(ディオニソスの巫女)」アテネ考古学博物館。

西洋美術の故郷はギリシャである。いや西洋文明そのものがギリシャを故郷としている。と言うことは端っこのアジア人種に属する日本人の近代以降の故郷でもある。世界の先進国の故郷がギリシャだといっても過言でもない。
昔日本では古きを尋ねれば中国の故事であった様に、西洋ではどの国だろうと行き着く先はギリシャ神話だ。日本が何かに付け引用した中国の故事はある程度史実に基づいていたが、ギリシャ神話は完全な創作物である。空を飛ぶし、半獸神も登場する。第一死なないのである。今回神託で有名なデルフィにも行ったが、途中バスの窓から入道雲を見ていると、はるか空の彼方のそこに神様たちが住んでいる気がした。何か神々しいのである。エーゲ海のサントリーニ島の夕日も素晴らしかったが、吹いてくるそよ風が私の人生で一度も経験したことのない爽やかさだった。もうずっとその風に吹かれていたくなって、その日はどこにも出かけないでホテルで一日過ごした。このような風土ではそこここに神様が感じられ、あの全世界に影響を与える壮麗な神話が成立したのだろう。
さて西洋美術史を改めて思い返してみると、ギリシャ神話を題材にしている場合が多いことに驚いてしまう。ゼウスが雨になってダナエと交わる「ダナエ」など、近代の作家であるクリムトでさえ描いている。まあ神話ならしようがない、と社会の承認を取り付けるのに好都合だったのかも知れないが、裸やポルノはほとんど神話を題材にする。神話は裸を描く隠れ蓑だ。
ギリシャ神話を題材にした絵は、嘘に嘘(絵空事で現実にあるかのように見せかけるから)を重ねるとして廃棄し、印象派が登場して近代絵画が始まるけど、何、それも根拠を尋ねれば、古代ギリシャである。ニーチェの批判するソクラテス主義、ギリシャの理性優先思想に始まりを持つ。
今日その西洋文明が行き詰まってしまった。神々を殺した様に自然も殺し始めた。ではどうすればいいんだよ? 神々を復活させるべきなのだ。美術だって同じ事だ。
さて難しい話? はそれくらいにして、今回アテネで一番印象的だったのは、アクロポリスの丘など古代の遺跡は別として、アテネのアゴラ地区からクレタ島まで、至る所で寝ているソクラテス犬だ。どうして大きな犬がそこら中で寝そべっているのか? 考えるのに適した風土だから、何か高邁なことを考えて過ごしているのか? 犬が何か考えても、犬界が変わったり進歩したりしない。
そのうちにコロナキ地区にあるホテルの近くで、雨の日に野良猫にエサをやっている女性を見かけた。察するところ、ソクラテス犬はご近所の人達がフィードしているのであろう。で、彼らの仕事はそこに寝そべってエサを待っていることになってしまったのだろう。かみさんが私を、痩せてメガネを掛けた爺さんなので、「アルケオロジスト(考古学者)」と呼んだんだけど、これは考古学ではなくて、考現学ですね。アテネでは太古の時代から犬は寝そべっていてギリシャ哲学に影響を与えたのだろうか?。
写真、最後の一枚は、「眠れるメナード(ディオニソスの巫女)」アテネ考古学博物館。







