ギリシャの旅 名にし負うデルフィ詣で
デルフィへ行くバスのターミナルと行き方はシンタグマの国営インフォメーションで聞き、時刻表ももらった。オムニのバス停から024のバスに乗ったが、キップがなければバスは乗れない。降りて買ってくれといわれたがそれではデルフィ行きのバスの時刻に間に合わないので、困ったら、乗っていていいと運転手がいってくれた。それで地下鉄のチケットで乗れるのではないかと気が付いて、聞いたらOKといった。
地下鉄のチケットは有効時間の異なるものを売っている。一時間半有効が1ユーロ、24時間有効で3ユーロである。ちょうどまだ有効範囲内だった。早めに出たのに、デルフィ行き発車10時30分ぎりぎり6分前くらいにターミナルBに着いた。これに乗り遅れると日帰りは厳しいと言う時間。
幸い好天に恵まれて、バスの窓から見事な入道雲を見る。光りが当たって遙かに遙かに遠くそこに天上世界があるように見える。日本でこんな見事な入道雲を見たことがないという気がする。全行程3時間、東京から箱根までの約2倍の距離だ。途中で行きも帰りも休憩するレストランがあり、そこで14分バスが止まってトイレに行ったり飲み物を買ったりする。

入道雲 デルフィに近く
紀元前5世紀頃、アテネからデルフィまでの旅は結構大変だっただろうと思う。有名なギリシャ悲劇「オイディプス王」のストーリーでは、デルフィで「父を殺し母と交わる」という神託を受けたオイディプスが、路上で戦車に乗った老人と口論になり、叩かれたので戦車ごと谷に突き落として殺してしまうが、従者の1人が生き延びて、やがて、殺したのが父であることを知るという。このストーリーはあまりにも有名で、ギリシャ悲劇の最高傑作とされている。
オイディプスが生まれる前に「おまえは子供に殺される」という神託を父の王が受けて生まれた赤子を殺すよう命じたというから、このストーリーの基本はデルフィの神託が未来を正確に予言して、アア、恐ろしや、と言うことにあるから、私はどうもなぜこの悲劇がそれほど受けるのか分からない。子と交わったと知った王妃が自殺するから、それからオイディプスは目を潰してしまうほどだから、近親姦は相当決定的タブーだったのである。今では娘と交わる父はアメリカではありふれているし、最近は隠れてしまったが息子と交わる母が日本では問題になっていた位で、随分と古代のタブーは影が薄くなった。それどころかホテル・ニューハンプシャーという古い映画は、姉とやりまくる話だった。で、これもかなり私には違和感がある。
このシャーマニズムと神話的世界観への反発から古代ギリシャ哲学が生まれたというから、当時でさえ馬鹿らしいと思う人が多かったのである。それにまた、一方で同性愛が賛美されていた事も知られている。
私は最近ではアートの理性優先主義に嫌悪を感じるけど、人間が憑依状態で神の声や死者の声を聞けるという事はまったく信じない。人間の脳などは単に物質の反応を司る器官で、だから簡単に狂う。遠くで起こったことを知る能力があるという点は、それと自分の死期とかの予感があることは信じなくはない。しかしこれから起こることなど分かるわけ無いじゃないか。
けれども、一方でこのデルフィへの行路がこの悲劇の要の舞台になっているから、強い日差しと澄み渡る空は、数千年の時を越えてこの行路と物語に共鳴する不思議なリアリティをもたらす。
さて話をもどして、だんだん山道にさしかかりやがてデルフィに到着したかと思ったが、降りる人がほとんどいないので椅子に座っていたら、運転手が「デルフィだよ」と促してくれた。デルフィが終点だと思い込んでいたが、バスはもっと先に行くのである。慌てて降りた。

遺跡と観光客 アテネ人の宝庫

オリンポス神殿 シアター
人影もない土産物屋やレストランの並ぶ商店街を通り抜けてかなり戻って、人に聞いて左手の山腹にある遺跡の入り口を入る。左手に考古学博物館があり、その先にチケット売り場があった。深い山の中の一つの険しい山腹に、デルフィの遺跡が広がっていて、上りながら、宝物庫跡、アポロン神殿、劇場、と写真を撮りながら登っていって最後の頂上に近いところにスタジアムがある。
岩が危険なので登らないようにと言う注意書きが英語でも書いてある。登らないと見えない。けれどもっと先に行くとちゃんとスタジアムの全体が見えて写真にも撮れるのである。戻るときに見たらアジア人の女性がその危ない岩の上に上がろうと試みていたので、もっと先に行けば見えると教えた。やっぱり専用ツアーバスで来た日本人だった。他に目立つ団体客は、先生に引率された小学生たちだった。彼らは劇場だけ見て帰ってしまった。その他はそれほど観光客で混んでいなかった。

スタジアム スフインクス
降りてから考古学博物館を見た。デルフィの遺物はこの博物館に置かれているのである。世界の中心という臍の石も置いてあった。私が興味を持ったのはスフインクスの像だった。キリスト教を国教とするビザンチン帝国によってデルフィの神託所は廃止され、遺跡は荒れるに任されたのか、あるいはその時に破壊されたのか、ここの彫刻もレリーフも完全な姿を止めたものは少ない。
さて気が付いたら4時のバスで戻れる時間だった。で大急ぎで見て息を切らしてバス停に戻った。アテネに向かって道の右側でバスを待ったがなかなか来なかった。うろうろしていたらそっちにいろと案内所の店主に注意された。やっとバスはやってきて、明るいうちにアテネに帰り着いた。
まだ時間があったので、シンタグマの賑やかな通りERMOUに行ったら、ファッショナブルな若い女性たちで賑わっていた。しかし皆体格がよい。多分子供の時からアフロディティとかを見て育っているからか、ギリシャの女性は皆健康的に太っていた。東京とは対照的だ。金曜日だったが、もう一度土曜に行ったら、まったくそういう女性たちの姿はなく、店もかなり閉まっていた。
オリンピアの神々の巨人族(ガイアの子供)との戦い シンタグマのERMOU通り
地下鉄のチケットは有効時間の異なるものを売っている。一時間半有効が1ユーロ、24時間有効で3ユーロである。ちょうどまだ有効範囲内だった。早めに出たのに、デルフィ行き発車10時30分ぎりぎり6分前くらいにターミナルBに着いた。これに乗り遅れると日帰りは厳しいと言う時間。
幸い好天に恵まれて、バスの窓から見事な入道雲を見る。光りが当たって遙かに遙かに遠くそこに天上世界があるように見える。日本でこんな見事な入道雲を見たことがないという気がする。全行程3時間、東京から箱根までの約2倍の距離だ。途中で行きも帰りも休憩するレストランがあり、そこで14分バスが止まってトイレに行ったり飲み物を買ったりする。


入道雲 デルフィに近く
紀元前5世紀頃、アテネからデルフィまでの旅は結構大変だっただろうと思う。有名なギリシャ悲劇「オイディプス王」のストーリーでは、デルフィで「父を殺し母と交わる」という神託を受けたオイディプスが、路上で戦車に乗った老人と口論になり、叩かれたので戦車ごと谷に突き落として殺してしまうが、従者の1人が生き延びて、やがて、殺したのが父であることを知るという。このストーリーはあまりにも有名で、ギリシャ悲劇の最高傑作とされている。
オイディプスが生まれる前に「おまえは子供に殺される」という神託を父の王が受けて生まれた赤子を殺すよう命じたというから、このストーリーの基本はデルフィの神託が未来を正確に予言して、アア、恐ろしや、と言うことにあるから、私はどうもなぜこの悲劇がそれほど受けるのか分からない。子と交わったと知った王妃が自殺するから、それからオイディプスは目を潰してしまうほどだから、近親姦は相当決定的タブーだったのである。今では娘と交わる父はアメリカではありふれているし、最近は隠れてしまったが息子と交わる母が日本では問題になっていた位で、随分と古代のタブーは影が薄くなった。それどころかホテル・ニューハンプシャーという古い映画は、姉とやりまくる話だった。で、これもかなり私には違和感がある。
このシャーマニズムと神話的世界観への反発から古代ギリシャ哲学が生まれたというから、当時でさえ馬鹿らしいと思う人が多かったのである。それにまた、一方で同性愛が賛美されていた事も知られている。
私は最近ではアートの理性優先主義に嫌悪を感じるけど、人間が憑依状態で神の声や死者の声を聞けるという事はまったく信じない。人間の脳などは単に物質の反応を司る器官で、だから簡単に狂う。遠くで起こったことを知る能力があるという点は、それと自分の死期とかの予感があることは信じなくはない。しかしこれから起こることなど分かるわけ無いじゃないか。
けれども、一方でこのデルフィへの行路がこの悲劇の要の舞台になっているから、強い日差しと澄み渡る空は、数千年の時を越えてこの行路と物語に共鳴する不思議なリアリティをもたらす。
さて話をもどして、だんだん山道にさしかかりやがてデルフィに到着したかと思ったが、降りる人がほとんどいないので椅子に座っていたら、運転手が「デルフィだよ」と促してくれた。デルフィが終点だと思い込んでいたが、バスはもっと先に行くのである。慌てて降りた。


遺跡と観光客 アテネ人の宝庫


オリンポス神殿 シアター
人影もない土産物屋やレストランの並ぶ商店街を通り抜けてかなり戻って、人に聞いて左手の山腹にある遺跡の入り口を入る。左手に考古学博物館があり、その先にチケット売り場があった。深い山の中の一つの険しい山腹に、デルフィの遺跡が広がっていて、上りながら、宝物庫跡、アポロン神殿、劇場、と写真を撮りながら登っていって最後の頂上に近いところにスタジアムがある。
岩が危険なので登らないようにと言う注意書きが英語でも書いてある。登らないと見えない。けれどもっと先に行くとちゃんとスタジアムの全体が見えて写真にも撮れるのである。戻るときに見たらアジア人の女性がその危ない岩の上に上がろうと試みていたので、もっと先に行けば見えると教えた。やっぱり専用ツアーバスで来た日本人だった。他に目立つ団体客は、先生に引率された小学生たちだった。彼らは劇場だけ見て帰ってしまった。その他はそれほど観光客で混んでいなかった。


スタジアム スフインクス
降りてから考古学博物館を見た。デルフィの遺物はこの博物館に置かれているのである。世界の中心という臍の石も置いてあった。私が興味を持ったのはスフインクスの像だった。キリスト教を国教とするビザンチン帝国によってデルフィの神託所は廃止され、遺跡は荒れるに任されたのか、あるいはその時に破壊されたのか、ここの彫刻もレリーフも完全な姿を止めたものは少ない。
さて気が付いたら4時のバスで戻れる時間だった。で大急ぎで見て息を切らしてバス停に戻った。アテネに向かって道の右側でバスを待ったがなかなか来なかった。うろうろしていたらそっちにいろと案内所の店主に注意された。やっとバスはやってきて、明るいうちにアテネに帰り着いた。
まだ時間があったので、シンタグマの賑やかな通りERMOUに行ったら、ファッショナブルな若い女性たちで賑わっていた。しかし皆体格がよい。多分子供の時からアフロディティとかを見て育っているからか、ギリシャの女性は皆健康的に太っていた。東京とは対照的だ。金曜日だったが、もう一度土曜に行ったら、まったくそういう女性たちの姿はなく、店もかなり閉まっていた。


オリンピアの神々の巨人族(ガイアの子供)との戦い シンタグマのERMOU通り
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