2011-07

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いま、池田20世紀美術館で、日影 眩展

 今、伊豆高原の池田20世紀美術館で、6月30日から10月11日まで、日影 眩の個展中である。美術館の広い会場でこれまでに無くのびのびと飾られて、絵が引き立っている。一碧湖の側の自然に包まれた環境の中にある素晴らしい美術館である。1階にはピカソ、マチス、ミロを始めとする20世紀美術の巨匠たちの作品が並ぶ。そうして階段を下りていくとのびのびと飾られた日影 眩の作品が目に入ってくる。
 20~30年前にはかなり変わったなじみの悪いものに見えた絵が今では違和感なく感じられるはずだ。この絵が認められるまでには50年掛かると作者は主張してきた。今25年が経過して徐々に成熟の域に到達しつつあるのである。そのトランジション渦中にある作品を味わってください。
 芸術の歴史とは大きく言えば視点の転換と拡大の歴史であったと言えるだろう。今世紀初頭、人は空に上がり,人の視覚体験は有史以来の眠りから覚めた。鳥瞰図の登場である。そうして今文明の進展と共に、蛙瞰図(下からの視点)が浸透して私たちの視覚を360°化しつつある。

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 2007年から2009年にかけて東京で発表した,写真に基づいた絵は、「神はアメリカを祝福する」を始めとして,安定した評価を得ている。形には心がある。その心を読み取るのは作家の心であり、見る人の心である。路上で撮られた写真は選ばれて,再構成され,絵に描き変えられるが,プロパガンダに見られるような故意のでっち上げとは異なる。それが芸術であるなら,写真に含まれた心が取りだされて,人々の目に見えるものになるだろう。単なる写像によっては捕らえられなかった真実が姿を現すだろう。あなたが時代の包括的な心(精神)を捉えられるなら,絵画芸術とは何であったかを知ることになる。

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最新作は,初めてここで発表されている。説明が不足だという人が居た。実際には、作家も手探りで制作している。始めに色があり,そうして姿を消していく写像が組み合わされることで,新たな試みが始められた。色は意図的に出来る限り形作らないようにしている。なぜなら、それは時を表そうとしているからだ。
 時はかつて時計によってシンボライズされた。時は形を持たないからだ。しかし光速度について、ブリタニカは,真空中では一定であるが,物質上においては色の違いとしてそれは現れると述べている。赤は長い時間を,青は短い時間を表すことが実験で明らかになっているそうだ。だとすれば時を時計ではなくて,色で表すことは荒唐無稽とは言えないだろう。
 また、かつて死は骸骨によって表象された。メメント・モリ(死を思え)である。けれど今日、死して骸骨は残らない。それは灰となって消滅する。今メメント・モリへの関心が高まっているが,たまたまそうなっただけで,はかない人生という思いは,身近な問題として私を包んでいるのである。すべては時によって消去され、そうして消去に私たちは美を見るのではないだろうか。制作は作家が1人でするのではない,大勢の人がその制作に関わる。そうして初めて芸術は芸術となる。

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