ベルンのクレー美術館とアルプスの虹

フィスト山麓でケーブルカーから見た虹
スイスに行く気が無かった。あそこは芸術と関係無いと思った。無知を恥じます。けれど何しろ直ぐ横の国だし、スケジュールに入れて、ユングフロウヨッホにも登った。
バーゼルはアート関係者には有名だ。7月も半ばでアートフェアは終わっていたが、ちょうど現代美術館で「ルノアール」展をやっていたので、パリ・リヨン駅発TGVの終着駅だし立ち寄った。お陰で今回はルノアールを飽きるほど見ることになった。コレクションも充実した良い美術館でした。美術館のカフェで昼食のあと市役所のあたりも見て、大急ぎで駅に戻ったが乗り遅れ途中乗り換えで、予定より遅くベルンへ到着。
乗り換えがどこでも一苦労、何しろフランスもスイスも美術館でもそうだが、自国語を誇るのか英語の説明が一切ない。こっちはフランス語がちんぷんかんぷんなので。けれど20数年前に比べるとどこでもずいぶん英語が通じるようになっていて色んな場面で助かった。


駅から徒歩の距離にあるバーゼル現代美術館 バーゼルからベルンへの乗換駅オルテン
ベルンは駅前のホテルで何かと便利だった。調べたところではここは見るものがさほど無いと見当を付けていたが、それは間違いだった。時計を見て、噴水を見て何が面白い? おまけにベア公園はつまらないと言うし。ところがこの旧市街が素晴らしかった。初日に街を河まで歩きバラ公園のある高台まで登った。素晴らしい展望だった。ただ薔薇はもう盛りを過ぎていた。戻りながら左側の河よりの街も見たが素晴らしい。


クレーが生まれて晩年を過ごしたベルンの旧市街
パウル・クレー美術館は、目的にしていた。私は若い頃からクレーが好きで、当時私にとって大金の5000円を払っても発売を待って箱入りの画集を買って今も持っているが宝物のように大事にしたものだ。ところが彼がベルンで晩年を過ごし、そのベルンが生まれ故郷でナチに追われて戻ったことは初めて知った。
翌日一番で駅前からバスに乗って出掛けた。美術館に行く乗客が私たちだけだったのは意外だったが、予想を上回る現代建築の大規模な美術館だった。入り口にいた係の女性が何度もやってきて、説明してくれた。一部の作品は京都から戻ったばかりといった。作品も予想以上に揃っていた。主としてベルンで制作した作品が中心だ。
丁度ドイツの現代アーチスト、ジグマー・ポルケとの2人展が、広い会場の中央を使って開かれていた。ポルケは10年ほど前にニューヨーク近代美術館で個展が開かれて、私も一文を日本の雑誌に書いたが、確かに現代の巨匠と言っていいだろう。1941年生まれだが、すでに亡い。私たちが帰る頃には来場者がどんどん増えてきた。凄いね、クレーは私が若者の頃にすでに大巨匠だった。
戻った後、ベルン現代美術館に向かった。ここにもクレーの代表作が数点あった。大部分はクレー美術館に移ったと言うことだが、極めつけの作品「パルナッソス山へ」などがここにはあった。他の印象派やモダンアートの作品も流石に近隣の地だから充実していて、セザンヌやピカソについても認識を改めた。美術館のカフェで用意されていたディッシュを取ったが、見かけだけでなく美味しかった。ベルンはクレーの故郷に相応しいまるで彼の絵の様に詩的な街だった。もう一泊すべきだった。


パウル・クレー美術館とエントランスホール


ベルン現代美術館 美術館カフェの軽食とアイスコーヒー
大急ぎでホテルに戻って荷物を取って駅へ。ベルンからグリンデルワルトへ、ここでは日本人の観光客が非常に多かったし、日本人のための観光案内所まである。ホテル・ヒルシェンはバルコニーのある部屋を取った。まだ明るいので、かみさんが調べたケーブルカーに乗ってフィスト山に登ったが、あいにくの小雨だった。パリでは4日間一度も晴れなくて、時には小雨が降ったが、その悪天候がまだ続いていた。「明日は晴れると言われているんだけど」と案内所の女性が言っているのが聞こえた。
フィスト山からの展望を楽しんで ケーブルカーで戻ってくると見事な虹が孤を描いていた。私がこれまでに一度も見たことがない完全な虹である。夕虹が出れば明日は晴れると言われていたのかどうか? 実際に翌日はクッキリと晴れて、私たちはユングフロウバーンに乗り、雪に覆われたヨーロッパで一番高いと言われる山頂に達して、ユングフロウヨッホの景観を楽しんだのだった。そのいきさつは写真でご覧下さい。


なぜか日本人で満員の登山列車 カラリと晴れたユングフロウヨッホ


アスレッチ氷河とメンヒ


アイガークレッチャーからクライネシャイデックまで1時間のハイキング アルプスの草花
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テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術